岩手県立博物館平成16年度伝統芸能鑑賞会
/岩手県文化財愛護協会第57回岩手郷土芸能祭
岩手県立博物館平成16年度伝統芸能鑑賞会
/岩手県文化財愛護協会第57回岩手郷土芸能祭
【日時】 2005年1月30日(日)13:00〜16:00
【場所】 盛岡市松園 岩手県立博物館にて
【入場料】 無料 (事前予約等の必要はありません)
【プログラム】
13:00〜夏井大梵天神楽 「八ツ祓い」「権現舞」「身固め」
13:30〜出演団体紹介
13:40〜夏井大梵天神楽「五方立」「庭降り」「番額舞」「利生舞」「権現舞」
14:50〜胡四王神楽「木曾舞」「天降り舞」「権現舞」
夏井大梵天神楽 ここが見所
【久慈の神楽】
夏井大梵天神楽は久慈市夏井に伝わる神楽です。久慈市の神楽は現在はこの夏井大梵天神楽と山根神楽の2団体となっています。しかし、以前はもっと多くの神楽団体がありました。そこで、「夏井・山根以外の団体は、現在は消滅した」というようにいわれることがあります。が、消滅したように見えたそれぞれの団体も、実のところはそれぞれ夏井・山根のいずれかに合流しているというところが多いのです。つまり、現在の夏井大梵天神楽と山根神楽はいずれも、もとは別々の団体だった神楽の構成員も参加することで、より厚い層の舞い手により活動を充実させているのです。
芸態は陸中沿岸の神楽(黒森神楽・鵜鳥神楽)と中山峠以北内陸の山伏神楽の中間的なものと言われます。確かに演目の構成や太鼓の大きさには陸中沿岸の神楽と共通する部分が多く見られます。また、権現舞での歯打ちの雰囲気などは中山峠以北内陸の山伏神楽と共通するものを感じさせます。しかし、それ以上に久慈地方の神楽独特の密な芸風と長時間の儀礼が印象的であり、遠方から見に来る熱烈なファンが後を絶ちません。
【神事とセットの演目・儀礼】
「番額舞」「利生舞」「権現舞」・・・これらの演目が演じられるケースは様々あることかとは思いますが、これまでに見た範囲では、神事の際に一まとめで演じることが多いようです。
神事がはじまると、まずは「番額舞」。名前からすると武士舞っぽいのですが、扇によるシンプルな短い舞です。続いて短い打ち鳴らしを随所にはさみながら普通に神事をやっていくのですが、神官さんが祝詞をあげはじめると、それと並行して神楽のご祈祷が始まります。神官さんの祝詞と、神楽の囃子・胴取りの長い祈祷文が相まって、とても不思議です。さらに神楽の祈祷に続いて利生舞が舞われます。これは鳥兜・千早・素面姿の舞い手によるもので、御神酒・御散米を掲げながら舞います。一人舞なのですが、御神酒が神楽に奉納された場合、御神酒の所作の部分だけほかの舞い手も出てきて一緒に舞います。奉納された御神酒の本数ぶん舞い手が出るそうです(といっても上限はあるでしょうけれども)。沿岸地方の祝詞はとっっても長いので、利生舞を舞い終わってしばらくして、ようやく神官さんの祝詞も終わります。そして、神事が終了したら下舞・権現舞。
【八ツ祓い】
行列を組んで移動する際の舞です。七つもの・七頭舞や、御堂入(みどういり・・・黒森神楽や盛岡周辺の神楽にある)と同じ系統のもの。道具は弓・薙刀・杵・竹です。祭礼のお通りや新築の儀礼・墓舞などで舞われます。現在では久慈市諏訪神社のお祭りのお通りなどでやっているそうです。
【新築の儀礼】
今回の公演では、新築の祝いの際の儀礼を再現するという感じで演じられるそうです。
神棚(or床の間)前で権現舞・身がため舞をし、中央に八つ祓い用具をおき、囃子にあわせて用具を一つづつ取り三回舞いまわる。続いて神主・法螺貝・太鼓・笛・手平鉦・八ツ祓い・権現舞の順に家の中を順に右回りに三回廻り清める。
続いて、「鬼祓い」これは
「八ツ祓い用具の弓・矢・薙刀・杵・竹を一つに束ね持つ一人と、米か豆を入れた三宝を持った一人が権現様を追いかける。薙刀で襲うしぐさをし、米か豆を投げかけると同時に、権現様が振り向き、歯打ちを一度する。つぎは権現様が二人を追いかけ、追いかけられた二人は振り向いて米か豆を投げる。これを三回くりかえす」
だそうで。権現様が四隅の柱と中央の大黒柱の前で舞を行い、また噛むことによって清めていきます。
【権現様と一緒に】
以上、今回演じられる内容にかかわって紹介しました。今回は新築の儀礼ということで八つ祓いや臼も登場するわけですが、たとえば「ふつうに民家で演じる際の舞い込みにこういった儀礼が入れる場合もあるのかどうか」といったことはよくわかりません。ただ、民家に呼ばれた際には「舞い込みの権現舞」「神事の後の権現舞」「舞立ちの権現舞」の3つをやるということはあるようです。つまり、権現様の出番が多いわけです(こういう感覚は、中山峠以北内陸の神楽と共通)。それぞれの権現舞の舞い方が違っていますし、神事の後の権現舞も様々なバージョンがあるようです。
今回はイベントですからどの程度までやるかはわかりません。が、なんであれ権現様といっしょに頭をガンガン振りながらご覧いただければ、と思います。
胡四王神楽 ここが見所
【「胡四王系」のオリジナリティー】
いろいろと歴史の経緯はあるようですが、安政3年(1856年)に大迫町の早池峰岳神楽から伝習した神楽です。岳系の神楽といっても、いま現在の岳神楽とは、素人目にもけっこう囃子や型に違いがあります。また弟子神楽が周辺に多いことから、「胡四王系」という一つの流れをなしています。そういう点は花巻市内で同じく岳系でありながら「幸田系」をなしている幸田神楽と同じような条件をもっていると思います。その両団体の芸態については、これまた素人目にもけっこう違いがあったり、いま現在の岳神楽とは違った胡四王・幸田の共通点があったり・・・。
2004年7月25日の「花巻市郷土芸能鑑賞会」や2004年12月5日の「下似内公民館落成感謝祭」などで見たところ、舞い方も囃子も、輪郭がハッキリした“パリッ”とした芸風が第一印象として魅力だと感じました。
なお、いまは「胡四王神楽」が団体名ですが、ちょっと前の出版物を見ると「矢沢の神楽」という感じに紹介されていることがあります。
【木曾舞】
胡四王神楽の木曾舞は「三人の女による舞」「そのうち一人が残って舞う」「残った女と木曾の僧の問答」「女が僧を追い払う」「女が戦闘体勢に変身」「武士が2名出てきて女に追い払われる」という舞。女舞が美しいし、僧の所作が笑えるし、戦闘シーンでの女の戦い具合がイイし、見所満載です。それで充分でもあるんですけど、ストーリーと謡の中身をよくふまえると、さらに一味楽しめることうけあい。胡四王神楽の謡はききとりやすいので、耳を傾けてみてはいかがでしょうか。
そのストーリーは
・・・木曾義仲という色男の武将がいました。義仲には「巴・山吹・葵」という三人の妻がいました。義仲も妻たちも戦に参加することになりました。義仲も山吹・葵も戦死しました。ここまでが前段で、次からが神楽の内容。生き残った巴は逃走or潜伏中に木曾の僧に遭遇。そこで巴は僧に、山吹・葵の奮戦ぶりなどを語り、法要を頼んで、自分はふたたび追ってに立ち向かって戦っていく・・・
というもの。らしい。
というスジ書きを頭に入れて見てみると、神楽の場合は僧がなんだかふざけているので「あれ?」と思います。最後は法要を頼まれるというよりは追い払われている感じだし・・・。また、唄にあわせて山吹・葵が消えていくところは回想の中での再現ドラマなのか、亡霊なのか・・・ちょっとわけわからなくなってきます。と、そこでふと気づくのですが、あるいは巴も僧も追手もみんな最初から幻で、実はやはり胴取りと幕裏の謡の人が主役なのかもしれません。そんな気分で見ると、頭がボーッとしてイイものです。というわけで、木曾の奥山と謡の世界に迷い込んでみてはいかがでしょうか。
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