春日大社・毛越寺
 〜古典芸能と声明〜


春日大社・毛越寺
 〜古典芸能と声明〜




日時:2005年6月19日(土) 14:00

場所:盛岡市 岩手県民会館 大ホール

入場料:S席3000円,A席2500円,B席2000円
  県内各プレイガイドにて発売

問いあわせ:県民会館事業部 tel:019−624-1173 

内容:チラシからの引用を以下に紹介します

神護景雲2年(768年)に藤原氏の血を引く女帝、称徳天皇の勅命により創設されたのが始まりと言われる奈良の春日大社。嘉祥3年(850年)に慈覚大使が一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号したのが起こりと言われ、後に奥州藤原氏二代基衡公が造営した平泉の毛越寺。1998年世界遺産に登録された春日大社をはじめとする古都ならの文化財、2008年の登録をめざす毛越寺をはじめとする平泉の文化遺産・・・。それぞれの文化は、その違いを超えて普遍的な存在であり、私たちはいまこそ、その時代の先人がもたらした美意識や継承される精神を見習いたいものです。

 春日大社舞楽 

★和舞(やまとまい)
和舞は大和の風俗舞で「続日本紀」に河内大夫・従四位上藤原朝臣雄田麻呂が「和舞を奏した」と見られるように古代を起源とするが、幾度かの戦乱により途絶えていたものを、辛うじて春日社社家冨田家の秘伝として伝承され、桃園天皇の大嘗会御再興の折には、時の関白一條兼香公の命により宮中へ相伝をする一方で、春日社では秘伝の制を厳持し、特別の祈願祈祷の際にのみ奉納なされており、時を経て孝明天皇元治元年(1864年)春日祭の古儀復興に際し冨田光美によって再興され、年ごとの春日祭・若宮おん祭に舞われている。
現在、神主舞が四曲、諸司舞八曲及び進歌・立歌・柏酒歌・交替歌・神主舞前歌等が伝えられている。
神主舞は一人または二人で、諸司舞は四人または六人にて舞われる。舞人は巻纓の冠に採物として榊の枝や桧扇を持ち、青摺の小忌衣をつけ虎皮の尻鞘で飾られた太刀を佩く。諸司舞の四段以降は小忌衣の右袖をぬぐ。歌方は和琴、笏拍子(歌)・神楽笛・篳篥および付歌・琴持にて行われる。
この作法は、まず舞台袖で和琴と神楽笛・篳篥により「音取(ねとり)」という短い曲が奏され、続いて「進歌」により歌方と神主舞の舞人が舞台に進む。次に神主舞(今回は二段・真榊曲)が舞われ、終われば「交替歌」で一旦、神主舞の舞人がさがり、改めて諸司舞の舞人四人が登壇、諸司舞二極(二段・梅枝曲、四段・宮人曲)を舞い、「立歌」で舞人、歌方の順に舞台をおり、終了となる。
昭和五四年一二月には昭和天皇香淳皇后の春日大社行幸啓の砌、御拝ののち天覧台覧の栄に浴した。

※神主舞 二段 真榊曲
『御蓋山 繁る高嶺の真榊を 中執り持ちて 我ぞ舞わまし』

※諸司舞 四段 宮人曲
『宮人の 大夜すがらにいざ通し ゆきのよろしも 大終夜に』


★八仙(はっせん)=右舞
崑崙八仙(ころばせ)ともいい、中国崑崙山の八人の仙人が帝の徳を慕い来朝して曲を奏し舞ったところからこの名があるといわれている。
 高麗楽で右方の舞に属する。舞人四人が袴に鯉の刺繍の上から網をかけてある袍を着て、口から鈴の垂れた面をつけて舞う。
 別名鶴舞(つるまい)とも称せられる。これは面が鶴に似ていて口から垂れた鈴の音は鶴の鳴声に似ており、また仙は仙禽で鶴のことである等の諸説によるものである。
破と急の舞がある。


★蘭陵王(らんりょうおう)=左舞
中国・北斉の蘭領王長恭は美青年であったので戦場に赴く時はいつも恐ろしい面をつけ軍を指揮したという。それによりおさめた勝利の喜びを舞に表したところ、国土は豊かになり世の中が平和になったという故事に由来すると伝えられている。
舞人は竜頭を頭上にし、顎を紐で吊り下げた金色の面をつけ緋房のついた金色の桴(ばち)を持ち、雲竜をあしらわした裲襠(りょうとう)装束をつけて舞う。舞楽の中で最も代表的なものの一つである。




毛越寺の延年

★常行三昧供(毛越寺声明)

★老女(ろうじょ)

★路舞(ろまい 唐拍子)

★花折(はなおり)






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