10月の日記
10月の日記
♪管理人の日々のできごとや、考えたことを掲載します。
 芸能を実際に見てきての報告も、たまには載せます。



11月の日記へ…



2001年10月27日(土)
浄法寺   
 第28回二戸地区郷土芸能発表会に三本柳さんさで出演のため、浄法寺へ。三本柳さんさ踊り保存会メンバーは12:30に都南公民館に集合して車に分乗していくことになっているが、私はそのあとで階上へ行く予定もあるし他の演目も見たいので先にいくこととする。
 11:00すこし前に到着。ちょうど倉沢人形歌舞伎が終わったところだ。つぎは軽米町の山内(さんない)神楽。同じく軽米町の虎舞が出られなくなったのでかわりに出演となったらしい。それはそれでなかなかOK。山内神楽の演目は“剣の舞”と“三坊荒神”。
 剣の舞は20人ぐらいの子供達が舞台いっぱいにならんで舞う。舞手どうしの立ち位置が入れ替わったりしないから、本来は一人舞いなのだろう。子供達の舞なので観客もわく。まあそういうもんだろう。が、しばらく見ているとだんだん子供の舞と思えなくなってくる。全員というわけではないのだが、舞手のうち数人が妙に玄人っぽい。腰が随所でがっつり落ちて、かつ上体がいい具合に脱力しているからそう見えるのだろう。ふつう子供の踊りというのはこの逆なんだけど…。
 続く三坊荒神は、前半は鬼の面をかぶった三人の舞手による舞。後半は面をはずして舞う。鬼剣舞の“三人加護”や大償系の“龍殿”、大乗神楽の“七五三切”などのように3人の舞手が太刀をくぐったりまたいだりする舞だ。同様の演目が法印神楽や岩手県北では“三宝荒神”という名称でも存在している。で、これも子供たちが舞う。まあ曲芸系の演目だな、という思いで見ていたのだが、これまた舞としての完成度が高い。あまり“うまい”タイプの舞手ではないようなのだが、たとえば太刀をくぐる際にも舞が停止せずに、小刻みに跳ねる動作を続けている。メリハリがある。太刀を鉄棒にしての前廻り(?)など、より曲芸的な色合いも強くて見てて楽しい。
 予想以上に濃い内容に圧倒されたが、これは軽米に神童がそろっているというわけではないだろう。おそらく、むちゃくちゃうまい大人の舞手が見本となっているはずだ。肝心の大人は囃し方に回っている。ぜひ地元での奉納を見てみたい。
 司会進行のかたはよくしゃべる方で「いやーすばらしい舞いでした。子供たち、もう手が血だらけです」などといっている。次は松田隆行さんの三味線。三味線もマジックも見てみたいと思っていたのだが、自分の出演の準備もしたいので控え室に戻る。
 控え室で笠の調整をしていると、スタッフの方が「出演団体の表彰をしたいのですがどなたか出てください」とやってくる。「責任者がまだ来ていないので後に回してください。後にまわせないなら、失礼ですが誰も出ないということで…。いや、自分では役不足ですので」と断る。しかししばらく押し問答を繰り返してしかたなく私が出ることとなる。いい加減な格好をしてきてしまったので、さんさの衣装のほうがマシだろうと思って急いで着替える。
 表彰で舞台上にならぶなんてのは初めてだ。ゆるゆると幕があくと、けっこうお客さんたちはマジメに見ているので驚く。各団体(三味線とマジック除く)にもれなく表彰状が送られる。ずいぶんと丁寧だなあと思う。私ひとり、舞台上の平均年齢をぐっと下げている感じがする。
 昼休みをはさんで、午後の一番はマジック。その間に支給された弁当をいただく。公演にきていいところはメシを食えるところだ。
 妻ノ神えんぶりがはじまったので客席にもどる。このえんぶりは“どうさいえんぶり系”。私はもうひとつの“ながえんぶり”と呼ばれる系統のもののほうが動きが複雑で好きなんだが、妻ノ神えんぶりは思いのほか複雑な動きをする。それにしても久々のえんぶりだ。八戸へ7年ぐらい前に見にいって以来。その間に芸能に対する自分の見方もずいぶん変わったと思うが、なんといっても今年の正月に見に行った秋田県鹿角の“大日堂舞楽”が思い出されて仕方がない。正月に大日堂を見に行ったあと、同行した知人から「えんぶりと似てる」という感想をきいたときには「そうかなあ」と同意しかねたが、改めて見てみると激似だ。それに、7年前よりも格段に面白く感じる。また八戸にも見に行きたくなる。と、三本柳の保存会の皆様が到着。えんぶりの途中で控え室に戻る。
 着付けをすませると、太鼓担当の副会長が「練習しまーす」という。どこでやるのかと思うと、会場入り口前の屋外の広場。しっかり音を出してしまっているので、踊り出すと近隣の人たちが集まってくる。10人ぐらい集まると、さすがに“観客”としての圧力になる。練習なので力を抜いているつもりだが、見られていると思うとだんだんに本番なみに動きが深くなってしまう。
 ひととおり練習を終えて呼吸がひーひーいっているところで、スタッフの方が「出演ですのでお願いしまーす」と呼びに来る。プログラムよりも早く進行してしまっているらしい。勘弁してほしい。
 で、本番はさらに呼吸困難。初めて「帯がきつくて息が苦しい」という現象を体験した。踊り終えて舞台ソデに退場するとき、帯をはさみで切ってしまいたいと思った。それから、体のバランスも悪かった。びょーんと跳ねた後、思いのほか跳ねすぎてしまって着地の際にバランスを崩した箇所が大量にあった。そういえば、不得意な“跳ね”の練習ばっかしてて着地の練習してなかったもんなあ…。
 そんなわけでぐちゃぐちゃだったけど、けっこう楽しかった。なんといっても、組み踊りの相手と出演前後の打ち合わせふくめ、いい形でコミュニケーションをとれたこと。あまり型には反映されなかったけど、互いのことをきちんと意識できた。浄法寺の方々にどう映ったかなあ。やっぱナニャドヤラのほうがいいんだろうなあ。
   



2001年10月21日(日)
  久々に芸能と関係ないこと
 たまっている本も読まなきゃいかんし、家計簿もつけなきゃいかんし…というわけで、今日は自宅にいることにした。
 さて、原油原産国での混乱に対してのささやかな意思表示として、11月まで我が家ではコタツは出さないことにした。「そんなんで体調くずしたら余計ムダだ」と非難をあびまくろうとも、決意は固い。が、コタツの前に座蒲団は用意しておきたい。そういえば公園通りの川徳デパートににAnna Suiというブランドのアクセサリーショップが入ったそうだ。北国の女の子にはぴったりのブランドだ。男ひとりでいって買うものもないが、見るぶんには楽しめそうなのでいってみよう。
 そこで、盛岡の街中へいく。が、大通りや菜園周辺の駐車場は満杯。川徳前の人出もいつも以上。きっと“えんぶり”を見にきたお客さんでいっぱいなんだろう。
 めんどくさいので、青山町にひきかえし、布団屋に入る。「長時間すわって疲れないのは真綿です。形が戻りやすいのは羽毛ですね。それから、大きめの方がいいんですよ」…さすが布団の専門家。きいてみるもんだ。が、安いウレタンの芯を買うことにする。
 次に手芸店へいき、カバー用の布を買う。
 そしてさらにその近くのケーキ屋へ行くが日曜は休み。何で甘いもん屋は日曜休みが多いんだ。しかたなく、大回りして遠いケーキ屋へ。ついでに、高松の池ばたに住む“白鳥おじさん”の家へクズ米を置いてくる。
 こんなことをしていると休日などあっという間だ。



2001年10月13日(土)
  ルツボへ
 第17回江刺市神楽大会にいく。
 芸能ごよみのページに書いたこととダブるんだけど、ちょっとここで解説。
 まず、岩手県は江戸時代には伊達藩と南部藩という2つの藩に南北に分かれて属していた。南のほうが伊達藩で北のほうが南部藩なのでややこしい。で、南部藩の南のほうには早池峰神楽と総称されるような山伏神楽が分布していた。 伊達藩北部には…江戸時代にはどうだったかよくわからないんだけど、幕末から明治以降は“南部神楽”というのが分布するようになった。
 で、江刺というところは伊達藩の北端で南部にとても近いところにある。そんな土地柄もあって、現在では早池峰神楽と南部神楽が両方ある。同時に、社風(みやぶり)神楽という別の系統のものもある。社風神楽は「南部藩が修験色を薄めた神楽としてつくらせたもの」と説明されることが多いんだけど、江刺の場合は明治になって神仏混淆が廃止された際に山伏神楽に改定を加えたものが社風神楽と呼ばれている…。
 とまあ、わかりやすく説明しようと思ったのだけど、結局こみいってしまった。そのうちこのサイトで別コーナーを設けて「芸能百科事典」みたいなのをつくらなきゃいかんかなあ。こういうのは本よりはwebでつくって地図・年表・系譜(フローチャート)・図版などを多用して整理したほうが向いているし…。
 話がそれたけど、要は江刺には様々な種類の神楽があるということ。
 で、いってみたら事前にきいていたプログラムと多少の変更があった。以下のとおり。
出演団体演目・内容所在分類
浅井神楽江刺市藤里下舞・権現舞山伏神楽
栗生沢神楽江刺市梁川翁舞山伏神楽
和田神楽江刺市玉里三番叟科白神楽
原体神楽江刺市田原岩戸開き科白神楽
佐野向神楽江刺市稲瀬天王舞山伏神楽
歌書神楽江刺市広瀬天女の舞山伏神楽
幸田神楽花巻市天孫降臨の舞山伏神楽
長京神楽江刺市梁川五穀の舞社風神楽
鴨沢神楽江刺市広瀬岩戸開き山伏神楽
川内神楽江刺市田原一の谷嫩軍記科白神楽
下川辺神楽江刺市米里下舞・権現舞山伏神楽

※「科白神楽」とは、「南部神楽」の別名。南部神楽についてはサイト 東北に神楽を訪ねてを参照!

 気が付いたことをざーっとメモしてきます。
 浅井神楽
 権現舞の下舞の舞手が権現様の後足の担当(←ここらへんの専門用語、誰か教えてください…)になった。県北のほうの神楽ではこういうのはあるけど、早池峰系ではふつう、下舞の舞い手が権現様を担ぐ。そして、下舞の舞手の鉢巻を最後に権現様に噛ませて、噛ませたまま上座に安置する。最後、お囃子が終わって拍手がなりおわってからも囃子方と舞手が神唄(祝詞?)をうたっており、柏手を4回打って一礼をし、正式に終わりとなった。そういえば宇佐八幡では二礼四拍一礼という参拝法をするらしいけど…関係ないか?

 南部(科白)神楽
 今回の大会に出た南部神楽の3団体、いずれも笛がとても重要な位置をしめていた。反面、胴取りの唄はそれほど強調されていないようだ。囃子のテンポも速く(about150beat/min)、笛も祭囃子のようにこまめに激しく高低する。「南部神楽の囃子は8ビートっぽい」という話を以前にきいたことがあるが、これまでにきいた南部神楽の囃子の中ではいちばんその雰囲気を良く感じる。他の地方の南部神楽で笛が廃れ気味なのと対象的だ。囃し方の人たちが白装束に烏帽子という格好をしているのも、大衆化がすすんでいるといわれる南部神楽にしては意外。法印神楽や大乗神楽、それに岩手県北の神楽では囃し方もこのような衣装のようだが…。

 歌書神楽
 演目は天女。女舞だ。女舞というのは数多くの演目をこなせる神楽でないと、なかなか上演もしないもののはず。神楽のなかでも難易度の高いものなのではないかと思う。というわけで、あまり期待しないでいた。が、幕から出てきた時点でやられた。後ろ向きで手を左右にひろげ、しゃがんだ姿勢で静止している。これが良い。その後の舞もOK。足を後に跳ね上げるような動きが多く、活発でおおぶりな動きがわかりやすかった。ざわついていた会場もこころなしか静まったと思う。ぜひ、この神楽の鶏舞も見てみたい。

 長京神楽
 「社風神楽」ですが、囃子・芸風は早池峰神楽と総称される山伏神楽に含めていいような感じでした。

 …といった感じでした。幸田神楽と鴨沢神楽はもちろんばっちし。
 全体を通してみると…山伏神楽も岳系・大償系・大償斎部流野口家伝系・社風系の4パターンぐらいに分かれるかと思いきや、あまりにも個々の神楽が違うのでびっくりした。山伏神楽の中に南部神楽のように大きな太鼓を使っているところがあったのも印象的。私のようなよそものは「××神楽は○○系」というように単純に分けたがるけど、そういう浅はかな姿勢ではなく、じっくり腰をすえて個々の神楽を見てみたいものだと思った。江刺近辺にお住いの方、神社での奉納などがあったら教えてください…!




2001年10月7日(日)
  大ヶ生金山の里縄文祭り
 盛岡市大ヶ生(おおがゆう)へ 第11回大ヶ生金山の里縄文祭りにいく。大ヶ生は、盛岡市の東南端の山の中の集落で、山ひとつ越えれば紫波町だ。
 私が初めてここに行ったのは今年の8月上旬。8月17日に、大ヶ生の板橋神社で大ヶ生山伏神楽が奉納されるとのことで、それを見に行くための下見が目的だった。山の奥だろうということは地図を見ればわかるのだが、想像以上に"山"なのでびっくりした。それに、道を間違えてしまったので同じところを何べんもぐるぐる回ってずいぶん不安な思いをしたものだ。

 8月17日に大ヶ生山伏神楽を見ようと思った理由その1。これはさらに前の話になるのだが、昨年の秋にひらかれた“もりおか郷土芸能フェスティバル”に、私は三本柳さんさ踊り保存会の一員として出演した。その際、私たち三本柳さんさ踊りの前の出演が大ヶ生山伏神楽だった。私は上手の舞台ソデから見ていた。私は民俗芸能をみだりにオカルトっぽい話と結び付けたくはないので、そこで何を見て何を感じたかということについては、略。いずれにせよ、「これはもういっぺん見ねば!」と思ったのだった。
 理由その2は、地元である盛岡の神楽にもうちょっと深くかかわってみたいと思ったから。地元といっても、いま自分が住んでいるところからは車で40分ぐらいかかる遠いところなのだけど。

 そんなわけで、8月17日の18時前に神社に到着。近くに車をとめて、神社の石碑が立っているところから敷地に入る。あれ、個人のお宅の庭じゃないか。その奥に鳥居がある。そのさらに奥は山。石段を上って山の上へ上っていくと、杉木立に囲まれて薄暗い山腹に小さな拝殿があり、右手には神楽殿がある。むちゃくちゃいい雰囲気じゃん。…といったことはさておき、この日は残念ながら諸事情により神楽の奉納はなかった。が、以前からこの地域に何度か神楽を見にいらっしゃっていた同行の方の口ききで、ともかくも弟子入りさせていただけることが、チクワを喰いながらその場であっさり決まった。

 で、秋になってから「10月7日の縄文祭りの練習をします」と連絡があったので、9月25日の練習から参加させていただいた。練習風景も資料になるだろうからと、ビデオに撮ることにした。9月25日の練習ではずっと見ていた。練習の後の打ち上げで、「じゃあ、縄文まつりでは手平鉦をやってもらいますか」というコトになった。
 次の10月2日の練習では、前よりも人が多くきた。そして、手平鉦が私を除いて2人になることとなった。そんなに鉦が多くてもなんだから今回は辞退しようかと思ったら、私が別の用事で手荷物に入れてきた笛を見て「じゃあ、笛をやってもらおうか」と言われてしまった(別にわざと見えるように入れてきたわけではなく、ホントになりゆき)。笛の担当の方がすごくうれしそうに「まず一緒にやってみて」というので、この師匠の横に座って、真似してぴこぴこ吹いてみた。
 家に帰ってからもいちおうビデオも参考にしながら練習してみたのだが、踊りも太鼓もよくわからないこともあって、さっぱり覚えられない。10月5日にも衣装あわせを兼ねた直前の練習をしたが、結局よくわからないまま、縄文まつり当日を迎えた。
 今回の神楽の出演は「祈り」「〆切り」「権現舞」「猿田彦」「みかぐら」。
 結果は、「神事と神楽の間、直射日光のもとにずっと座ってたので鼻の奥がヒリヒリした(=鼻血寸前)」「腕と左上半身がなんだかしびれた」「息が続かず、視界がせまくなって辺りが暗くみえた」…神楽の最中についてはそんな肉体的な記憶ばっかりなので、あとでビデオを見てみると「はぁ、自分らはこういうことをやってたのか」と不思議な感じがする。でも、出演の前に権現様にベベを着せながら「あ、権現様っていいもんだな」と思ったことや、終わったあとに笛の師匠がうれしそうに「いやー、助かったー」と言ってたことなどが「ちょっといい話」系の雰囲気で脳裏に残った。









9月の日記へ…