4月の日記
4月の日記
♪管理人の日々のできごとや、考えたことを掲載します。
 芸能を実際に見てきての報告も、たまには載せます。


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2001年4月30日(月)
  フジツボその後
 ゆでて食ってみたらホタテ味でした。



2001年4月29日(日)
  フジツボ
 八戸へ遊びに行く。同行した地元の人のすすめで、「八食(はっしょく)センター」による。鮮魚・青果の小売店などがたくさん入った大きなショッピングセンターである。全体として鮮魚が安い。浜に住んでいる方はなんとも思わないのかも知れないが、内陸の盛岡にいると、この価格の差には驚かされる。
 「おつゆせんべい」や「なんばん味噌」といった食生活の微妙な違いを感じつつ店先を見て歩いていると、
「フジツボ 100g 270円」
に目がいった。店のおやじに聞いてみると、「100gで3個ぐらい」とのこと。たしかに大粒だが、高い。でも、前から食ってみたいとは思っていた。磯に行けばいくらでもいるもんではあるが、こういうふうに店先に並んでいないと食おうとは思わないものだ。そこで、300g買ってみた。計1000円。「オレなら買わね〜な。珍味だけど」とおやじに言われてしまった。

 フジツボというとこんな話を思い出す。

 夏休みにある若い男が磯に遊びに行った。はしゃいで走っていたら藻に足をとられ岩場にひざをうってしまった。10針ぐらい縫って、夏のうちに傷はふさがったので、そのことはしばらくすると忘れてしまった。
 翌年の春頃からひざが痛みはじめた。はじめは鎮痛剤などでごまかしていたが、そのうち歩けないほどになってきたので、入院して切開してみた。ひざの皿をいったん取り出すという手術だ。取り出されたひざの皿を見て、外科医は息をのんだ。
 皿にはフジツボがびっしりついていたそうである。



2001年4月28日(土)
  田代の宵宮

 亀岳中学校のHPに案内が載っていた、宮古市田代のおまつりへ行く。
 じつは日中は水沢に出張で、盛岡に戻ったのが15時すぎ。18時ごろまでには田代に着けるようにしたいが、間に合うかどうか…と、バタバタする。しかも、水沢からの帰りに買ってきたショコラムース系の洋菓子が晩春の陽気と車の振動のために「直径2倍・高さ1/2」に変形している。そんなわけで、かなり不機嫌な状態で田代へ向かうこととなった。
 幸い、18時ちょうどに田代大神宮に着く。まずは小山の頂上にある社殿にお参りに行く。二抱えほどもありそうな立派な赤松も茂っており、由緒ありげなお社だ。社殿からは谷あいの田代の村を一望できる。 日が沈み、薄暗くなってきている。まだ数人しか人は集まっておらず、「準備中」とのこと。
 19時ごろになって人が増えてくる。神楽衆の方々が社殿の中で着替えをすますと、神楽のはじまり。みんな社殿に招き入れられる。社殿は20畳ぐらいの広さで、向かって左手を舞台にし、観客は右手に座る。観客は40人ぐらい。
 田代からは黒森神楽の舞手が何人も出ている。そして今日の神楽には田代以外の黒森神楽の舞手が来ている。内容も黒森神楽と同じものである。となるとこれは田代神楽というのか黒森神楽というのか…?と野暮な疑問も浮かぶ。ともあれ、やはり田代の人が多く入っているということもあってか、これまで自分がみてきた黒森神楽とはまたちがった雰囲気があって面白い。
 演目は清祓・榊葉・山の神・恵比寿舞の4つ。私は中学生の七つものが演じられるものと勝手に思い込んでいたので予想外だったが、これはこれでうれしい。いずれの演目も見るのは何回目かだが、こんなに間近で見るのは初めてだ。特に恵比寿舞では終盤に御祝を神楽衆みんなが謡い、とてもめでたい雰囲気を感じられた。
 一通り神楽が終わると21時すぎ。帰りは機嫌よく盛岡へ向かうことができた。



2001年4月24日(火)
  境界領域
 外回りの仕事の合間に、盛岡市立図書館と岩手県立図書館に寄る。今回の調べ物は"住田町の神楽について"。 
 住田町の神楽にあえて着目しているのには以下のような理由がある。
 私は高校のころに陸前高田の南部神楽を習っていた。この神楽については「平泉町から伝わった」というルーツがいちおう明らかになっている。ところがその平泉の神楽を実際に見てみると、ずいぶんと型がちがう。そこで近辺の神楽をいろいろと見てみると、「どちらかといえば、陸前高田の神楽は東磐井近辺の神楽のほうに近いのでは?」と思える。であれば、東磐井よりも陸前高田に近い住田町の神楽はどうなんだろうか?
 …といったいきさつで住田町の神楽に関心をもつようになったのは数年前。ところがしばらくは手付かずでいた。というのも、
★住田町の民俗芸能についての資料がざっと見た範囲では目に付かなかった
★その住田町の南部神楽は基本的には3年に一度の祭りでしか演じられず、実物を見る機会が少ない
…といった事情があったため。
 そうこうしているうちに、神楽が奉納されるお祭りが今年の5月に年ぶりに行われることとなった。今回こそ逃さず見に行くことは当然として、やはり見に行くからには改めて文献も探しておきたい。
 そんなわけで、この時期に図書館へ足を運ぶこととなった。
 結果、気になったことがいくつかあったので、以下に挙げておく。

 住田町には神楽が3団体ある。仮にA・B・Cとすると、それぞれ以下のような特長がある。

A:文献にはどの文献にも南部神楽として記述されている。が、ルーツについては"遠野市の南部神楽"が伝わってできたものとのこと。また、権現舞を伴う「四楽(しがく)」もおこなう。…ということは、早池峰系の神楽なのだろう。

B:私が高校の頃に習った陸前高田の神楽の親神楽(これも陸前高田町内の南部神楽)から伝承されて始まったが、改めて途中で岳系の神楽を習って以降、岳系の芸態に変わった。

C:江刺の大償系の神楽から伝わった。じゃあ、「早池峰系」とか「山伏系」でいいだろうと思うのだが、文献によっては「南部神楽」と分類しているものもある。

 なんだかややこしいことになっている。いずれも南部神楽となんらかの関わりがある(あるいは“かつて関わりがあった”)神楽のようだ。が、これらの資料のうちいくつかには、どうも“南部神楽”という語が、定義がはっきりしないままに使われているようだ。また、写真や演目などから推量するぶんには、いずれの神楽も現時点では「セリフ神楽」としての南部神楽よりは早池峰系の神楽に近いように思えた。
 …と、文章でつらつら書いていて自分でもわけがわからないし、百聞は一見にしかず。なので、まずは連休中に「A」の神楽を住田町に見に行く予定。また、すでにそういった疑問にこたえる資料も出されているかもしれないので改めていくつかの資料にあたってみる価値もありそうだ。
 いずれにせよ、素人があれこれと憶測した結果というのは無茶苦茶なものになりがちなものだ。そのうち専門家の考えなども伺ったうえで、当サイト内の"研究"のコーナーなりに、図表なども用いたわかりやすい形で改めて掲載してみようと思う。
 いや、やはり境界領域は面白い。じゃあ、江刺・和賀なども南部神楽と早池峰神楽・山伏神楽の境界領域のはずだが、どうなっているんだろう…?。興味は尽きない。



2001年4月21日(土)
  うづら焼き
 よその土地へ行くと和菓子屋の品揃えをチェックしたがる人がたまにいる。私はその点については人並みなので、どこへいっても名物にも出会わずにとんぼ返りすることが多い。たいていは人様のお土産にありついて喜んでいる。
 しかし今日に限っては、出張で出かけた遠野の街中で、和菓子屋の張り紙が目に入ってしまった。
「うづら焼き 21日・22日のみの予約販売」 多くの人は丸々とした雀たちが群れているのを見て、「こいつらを串団子状にして焼いて喰ってみたい」と思ったことがあるにちがいない。この張り紙は、そんな願望をかなえてくれる予感をただよわせていた。
 一仕事終えた後、この菓子屋に寄ってみた。
 店の奥さんが出してくれた「うづら焼き」は直径5cm前後のあん入り餅。
「いま時期しか売ってないんですか」
「そこの"うんなんさま"って神社のお祭りのときだけやってるんです」
「なんで"うづら"なんですか」
「よくわからないんです。昔は"うづら"の焼印をおしてたそうです」
「鳥の"うづら"の模様の焼印なんですかね」
「それもよくわからないんです」
「それに、"焼き"っていっても焼いてないですよね」
「ええ、それで"うづら餅"と変えたこと
があったんですが、年寄りのかたから『いづから"餅"になりやんした』と言われてしまって戻したんです」
…なんだかよくわからないが、帰って食べてみたら羽二重餅のような柔らかい餅でうまかった。うづらの丸焼きを食ってみたくなった。




2001年4月20日(金)
  芸能の映像化
 「おでって映画座ドキュメンタリー」と題した上映会を見に、盛岡市中の橋の「プラザおでって」に行く。(“上映会を見に”って何かヘンか…)
 今回の上映作品は「早池峰神楽の里」と「みちのおく」。芸能ごよみにもちょこっと説明を書いたので参照を…。
 先に上映されたのは「早池峰神楽の里」。踊りがブチブチに切られていたり踊りと囃子がずらして流されたりしたらやだな…と心配していたのだが、思いのほかきっちり踊りを見せる内容になっていた。この点について監督の神楽に対する姿勢が反映されているように思う。おかげで、短い作品ながら、一世代前の岳・大償の神楽を垣間見ることができた。当時の大迫の生活も描かれていて、説教くさいメッセージではなく淡々とした事実のもつ迫力がある映像だった。そして、なんと言っても大迫へ足を運びたくなった。
 続く「みちのおく」は岩手県周辺の伝統工芸や伝統芸能・史跡・自然などをおりまぜつつ、「先住民や侵略者が織り成す重層的な文化・風土をもった東北」といったものを紹介する新作の記録映画…といったような中身。全体として製作者が言わんとしていた内容についてはもうちょい私自身が勉強する必要があるな、と感じさせられた(特に歴史について)。個別の被写体については、「達谷窟毘沙門神楽のような南部神楽を小さいお社でやるのもなかなかいいもんだな」とか「木っ端があっというまに杓子になってくぞー!すげー!!」などなど、感動するものがいくつかあった。
 ついでに付け加えておくと、「みちのおく」の上映途中でいきなりフィルムが燃えてスクリーンにサイケな模様が浮かび上がったのにはびっくりした。不謹慎にも、「ニューシネマパラダイスだー」と笑ってしまった。



2001年4月19日(木)
  再構築
 18時すぎから民舞研盛岡支部の練習。「貫花」「煤孫雛子剣舞」「よしゃれ」「三本柳さんさ」の復習をする。長期の休みから復活して間もない練習なので、まずはおおまかな型を思い出すことに専念する。それでも、数をかさねるごとに、音にあわせ体が動くようになっててくる。
 しかし、「さんさ」はともかく、その他の演目については、私は地元で実物をきちんとみたことがない。なので、雰囲気をつかめない。型もあいまいで雰囲気もつかめないというのはかなりイケてないのだが…。
 ただ、岩手県の場合は"総合過程"などの枠組みで、学校教育として民俗芸能を取り扱うケースが再び増えることが予想されている。そのことと関わってか否かはわからないが、これまであまりつながりのなかった学校教員のあつまりからも、この民舞研盛岡支部にお声がかかるようになっている。
 現場からの要請にこたえたとりくみができるように、まずは踊りこむこと。といういつもどおりの結論に落ち着いた。



2001年4月17日(火)
  “型”と“主題”
 今日は三本柳さんさの練習。新たに剣舞くずしの組踊りを教わる。この踊りは組みあう2人の位置関係を把握するのが難しい。また、気合を入れて動かないと軽薄に見えてしまう。新たな難関に突き当たってしまい、うろたえてしまう。
 また、復習でやった鹿踊り系の踊りについて、足の型を注意される。鹿踊り系の踊りにかぎってはヒザをしぼらずに踊るのだが、そのときの足の形が崩れてしまっているという旨の指摘だった。知らず知らずのうちに「輪踊りの基本的な型もだいぶ覚えてきたので、これからは組み合わせを覚えればいいのかな」というようなおこがましい気分になっていたことにきづかされる。 三本柳さんさの場合、それぞれの踊りに名前がついている。そして、いずれの名前もわりとストレートにその踊りの主題をあらわしているいうらしい。これは、33種類ある踊りのひとつひとつに、主題に沿った"型"があるということである。
 もちろんすべての民俗芸能が現時点できっちりとした主題をもっているということはないのだろうが、三本柳さんさについては練習にあたって「この踊りは幕系の鹿おどりだからキレよく」とか「剣舞だから太刀を持っているような手の位置で」といった指摘を受ける。それゆえ、三本柳さんさを習ううえで盛岡近辺の他の民俗芸能を見ることはとても勉強になる。
 しかし、今日の練習ではそういった「主題のとらえかた」の前ににまずは型を覚えることが先決だということを改めて感じさせられた。主題から演繹的につくりあげていく側面と、型から帰納的につくりあげていく側面とのバランスを常に意識することが自分なりの当面の課題かもしれない。



2001年4月15日(日)
  動物園
 盛岡市には動物園がある。「けっこうでかくていいらしい」という話はきいていたのだが、機会を逸して一度もいかずにいた。実は岩手大学の民俗芸能サークル"ばっけ"の創立者が「サル芸」の名人だったので、「"ばっけ"周辺の人たちみんなで動物園へいって、一人一種類、動物の動きをコピーしてきて芸の肥やしにしよう」という話もあったのだが、それも立ち消えになっていた。昨年、知り合いが動物園の職員として就職したこともありますます気になっていたのだが、そのうち冬になってしまった。寒さが厳しい盛岡のこと、動物園も冬季は休園になる。
 ようやく春になり、人からの誘いもあって、きょう、午前中の短時間だがはじめて足を運ぶこととなった。小雨が時々ぱらつく天気ながら、やはり家族連れが多い。ほほえましい光景ではあるのだが、家庭崩壊を描いた柳美里の「ゴールドラッシュ」という小説に「いわゆる幸せ家族の象徴」といった感じで動物園が出てくることを思い出したりして、気分が曇る。
 とはいえ、動物たちをみていると、新鮮な感覚を得ることができる。珍しい動物にせよ普段から見慣れた動物にせよ、改めてじっくり見ると発見が多い。「おしどりカラーの携帯とかPCをつくったらいい感じかも」とか「タヌキは枕にするとよさげだ」とか、いい加減な発想も次々に浮かんでくる。あまり街中から遠い動物園でもないので、盛岡周辺にお住まいの方はちょっとしたついでにでも寄ってみるとよいかもしれない。

  大人の踊り
 動物園のあと、市内の体育館で七頭舞の練習。きょうはいつもの"先生"がお休みで、ちがう方が教えにきて下さる。いずれの先生も小本出身の方なのだが、かもし出す雰囲気は微妙に異なっている。そこで、私は今日の練習では先生のおどりをじっくりみてその微妙な雰囲気の違いにひたってみることとした。
 しかし、「個々の舞手による雰囲気の違い」というのももちろんだが、むしろ「ひとりの舞手の中でも日々踊り方がかわっていっている」という点を今回は強く感じた。具体的な技術の問題については省くとして、全体として先生の踊り方は前にもまして円熟味を深めている。「大人の踊り」という印象がある。
 このことは今日の先生に限ったことではない。ちかごろの地元の七頭舞は若い舞手が一定の年齢に達したこともあってか、「大人の踊り」という色を感じる。私はこの踊りを小・中・高と学校の中で踊ってきたのだが、そういう中で目にするのはやはり同じ学校の生徒が踊る「子供の踊り」だった。そしていまだにその印象が私の記憶に色濃く残ってしまっている。それゆえに改めて「大人の踊り」を見ると、とても新鮮で楽しい。
 やはり芸能はナマモノだ。舞手も、見る側の感覚も日々変化する。「その芸能なら以前に見た」という方にも、改めて見なおしてみることをおすすめしたい。



2001年4月9日(月)
  忘れてる…
 今日から3週間は月曜日が三本柳さんさの練習日。
 先週からの活動方針で、まずはこれまでに覚えた踊りの復習をする。
 一拍子から七拍子まで。田植え踊りくずし各種。神楽踊りくずし。甚句踊りくずし。それに鹿踊りくずし各種…。そして引きは・歩み・礼踊りも入れると33演目のうち半分ぐらいはいっていることになる。が、近頃やっていない演目はけっこう忘れている。やっていた演目についても足の位置などの細部はけっこういい加減になっており、指摘をうけてはじめて思い出したことがいくつかある。
 そして、踊りの型はなぞれるのだが、口拍子(太鼓の囃子を擬音化したもの)をいえない演目が多い。こういうのはあまり胸をはって"踊れる"といえるものではないと思う。四肢の型だけでなく、耳も使ってもっと総合的に"踊りという空間"をとらえられるようにしたいものだ。



2001年4月6日(金)
  世代を越える踊りの輪
 大きな音をききたくなったので、久々に盛岡市菜園のクラブ“DJ BAR DAI”へ行く。今日はハウス中心の選曲とのこと。ハウスという種類の音楽はこれまであまりきくことがなかったのだが、DAIに来るようになってからはその良さを感じるようになった。
 あまりフロアに客もいないが、スピーカーのそばで飲んでいるとだんだん気分が良くなってくる。しばらく踊っていると、フロアの真中あたりで踊っているのは自分ともう一人だけということに気づく。その人は髪の色が薄いのではじめは白人かと思ったが、どうもそうではない。白髪の中年男性(日本人)のようだ。そのうち眼があってしまい、二人で踊ることになる。
 ハウスのステップというのは早い踏み変えの連続に時々タメを混ぜるものなので、なかなかむずかしい。私もその中年男性もあまりうまいほうではないのだが、それなりにお互いにあわせて踊っていると楽しくなってくる。
 そのおじさんはしばらくすると疲れてしまったらしく店内から消えてしまった。いろいろと話もしてみたかったので残念だったが、"見ず知らずのおじさんと踊って楽しむ"というふだんの生活からは考えられないようなことをできたのは新鮮だった。クラブに行くとみんなDJブースの方を向いて踊っていることが多くて、今回のように客同士がお互いを向いて踊れるというのは久しぶりだ。ただ、もう少し客が入っていてほしかった。年度始めだったから客足が鈍いのか、盛岡ではハウス人口が少ないのか…?


2001年4月5日(木)
  音があれば
 久々の岩手民舞研盛岡支部の例会。岩手民舞研は正式名称を岩手民族舞踊教育研究会という。日本の子供たちに日本の踊りを伝えよう・・・という学校教員のあつまり。三本柳さんさ踊りや中野七頭舞・岩崎鬼剣舞など全国的にも有名になった岩手県の民俗芸能の中には、岩手民舞研あるいはその構成員個々が教材化に貢献したものが少なくない。岩手民舞研の例会は毎月1回だが、盛岡支部については例会を毎週開いてきていた。が、参加者の都合がいろいろとあって、昨年末からは例会が開かれないでいた。私は仕事の関係上、昨秋あたりから参加できていなかったら半年ぶりぐらいになる。
 きょう練習したのは北上市の煤孫雛子剣舞(すすまごひなこけんばい)と琉球舞踊の「貫花(ぬちばな)」、それに三本柳さんさ。剣舞と貫花は普段はカセットテープにあわせて練習している。しかし今回は準備できなかったため、笛と唄を自分達でやりながら踊ってみた。しかし、剣舞も貫花もうまく踊れない。
 これらの芸能は上述の"全国的に有名になった民俗芸能"に比べると、とても覚えるのに時間がかかった芸能だ。というのも、雛子剣舞にせよ貫花にせよ、4拍もしくは8拍でわかりやすく分かれた囃子とそれに対応する動きがあるわけではないからである。しかし動きにまったく区切りを設けずに覚えるのもたいへんだし、教材化を眼目においた民舞研としてはそういった分析をなんとかしていくことも大事な役割だ。そこで、民舞研では長くても十数拍程度のパーツに区切って、
「いち、にい、さん、しい…」
とかけ声をかけながら練習してきた。ただ、私はそういうやりかたではあまりうまく覚えられず、唄にあわせて覚えるクチなので、唄とかけごえの両方を併用して覚えてなんとか他の会員の方についていっていた。
 で、久々にひらかれた盛岡支部の例会で踊ってみたところ、私もその他の会員の方も充分に覚えていなかった。ただ、ところどころ踊れるところもある。それは、唄をちゃんと覚えている部分についてだった。そして、唄が崩れると動きが乱れる。
 以上のようなエピソードは別に目新しいはなしではないのだろうけれども、改めて"踊りは音楽だよな〜"と思った(そうではない芸能もあるかもしれないが)。そして、会としても「まずは唄を覚えよっか〜」という雰囲気になった。
 「芸能を分析的に伝えるのが良いのか、踊れる人が通して踊るのをひたすらまねしてコピーするのか」といった議論はよく交わされるが、なかなかこの結論は出ない。ただ、両者のいいぶんをとって「より多くの人がより効率よく、その芸能をより深くとらえること」を実現しようとするとき、まずは「唄(あるいは口唱歌)を覚えること」からはじめてみるのもいいんじゃないだろうか。反省も含めてそんなことを考えさせられた。


2001年4月3日(火)
  覚えないと…
 三本柳さんさの練習は毎週火曜日におこなっている。実は先週もそのつもりで会場の体育館にいったら誰もいなかった。"ザ・太鼓"の後だったので休みだったらしい。保存会同期のF氏にその場で電話したら、岩手大学の民俗芸能サークル"ばっけ"の追い出しコンパに出席しているとのこと。F氏は私にそういう大事なことを伝えずに呑んだくれていたというわけなので、後日いじめることとした。 …と、ここまでは先週のはなし。今週は間違いなく練習日だ。
 ザ・太鼓も終わったので、これからは映像記録事業に対応して全演目を覚えるようにするのが課題だとのこと。私は踊りを覚える事に関しては人一倍おそい方なので、ちょっと不安になる。なんせ、さんさだけで33演目もある。これに加えて囃子舞などもあるのだから大変だ。そこまではやらせてもらえないだろうが…。


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