おがみ神社 神楽祭
おがみ神社 神楽祭



日程:5月11日(土)12日(日)


場所:八戸市 本八戸駅徒歩1分おがみ神社にて
 


内容:
法霊神楽が、権現舞・山の神・翁・三番叟・剣舞・八幡舞・番樂・鶏舞・注連切舞を舞手を代えながら奉納します。熟練の師匠が舞う杵舞も見ものだそうです。
●11日17:00〜19:00神楽
   19:00〜19:30内丸えんぶり
   19:30〜2100新舞踊等の演芸
●12日15:00〜19:00神楽
   19:00〜21:00舞踊等の演芸    21:00〜 注連縄切舞




法霊神楽とは???

八戸の神楽
  青森県八戸市の山伏神楽は、矢沢大仏神楽・浜市川神楽・白銀神楽・鮫神楽・笹ノ沢神楽・法霊神楽の六団体が現在のところ活動しています。このほかに「高橋神楽組」という方々も八戸市小中野の御前神社のお祭りで奉納されているようですが、メンバーは法霊神楽の方と重複しているようです。これらは中山手と呼ばれる系統のもの、江刺家手と呼ばれる系統のもの、そのいずれにも属さないものに分類されます。
 また、現在は行なわれていないものとして、笹の沢神楽から伝わった糠塚の神楽、それとは別の長者山の糠塚神楽があります。


中山手と江刺家手
 “中山手”は一戸町の中山近辺の神楽を起源とするもの、“江刺家手”は九戸村の江刺家近辺を起源とするものです。岩手県北・青森県南の神楽はこの二系統に分類されるものが多いようです。ただし、この分類は現在の芸態にあてはまるものではありません。まあ民俗芸能の場合、一部の演目・ちょっとした舞振り・囃子のフレーズを教わっただけでも○○系に組み入れられてしまうことがおおいのです。ですから、1つや2つの団体を見たぐらいでは「中山手も江刺家手もすでに見たからいいや」ということにはならない…らしいのです。


法霊社の神楽として
 法霊神楽の詳しいことは、 法霊神楽のHP を参照。で・・・
 本八戸駅のそばに、法霊山おがみ神社という八戸藩の守護社があります。なぜ「おがみ」を平仮名で書くかというと、漢字が難しくてPCで表示できないからです。雨カンムリの下に「口」を横並びに3つ、その下に「龍」を書く…という字です。法霊神楽はこの神社の奉納を中心とする神楽です。八戸三社大祭でたくさんの権現様を出しているのがこの法霊神楽です。


権現様への意識
 八戸市内には個人の家として権現様を祀っているお宅もわりとあるようです。岩手県の盛岡以南だと権現様は民家の中に安置する場合は床の間に据えることが多いようですが、八戸では神棚に据えるそうです。沿岸部の神棚はとても大きいので、これも可能なのでしょう。
 八戸の法霊山おがみ神社・新羅神社・神明社の三社のおまつり、いわゆる「三社大祭」は大型の人形山車がでる祭りとして有名ですが、このなかで法霊神楽による権現舞群舞も祭りの見せ場の一つとなっています。民俗芸能では「群舞」というと観光用に仕組まれたものを連想することが多いかもしれませんが、この場合の群舞は、やや意味が異なります。実はこの権現舞の群舞は見せ物として企画しているものではなく、市内各地の方が「我が家の権現様を遊ばせてください」と、依頼することによって成り立っているものなのだそうです(岩手県大迫町の早池峰神社例大祭など、早池峰神楽のエリアでも同様のことはあります)。なので、群舞の前後によくよく注意をはらってみると、その権現様を神楽衆に託した方々が真摯に拝んでいる姿がうかがえます。頼まれる権現様の数はかなりたくさんになります。おがみ神社の社殿に入ると両側に数十体の権現様を見ることができますが、これらの権現様はあまり出番が多くないそうです。なぜなら、三社大祭では持ち寄ってこられる権現様のほうが多いから。だそうです。
 同じように山伏神楽の団体が存在する都市でも、盛岡市の場合はこのようなことはまずありません。神楽師と権現様を祀る市民の意識が違う理由・背景などについても、調査がのぞまれます。


法霊神楽のルーツ
 法霊社には藩内の山伏たちが古くから神楽を奉納し、古い神楽面も大切に保管されていました。ところが戦後、直属の神楽がないことを惜しんだ地元の人が、鮫町(八戸市)在住の軽米出身の方に神楽を習いました。この軽米出身の人は江刺家の人たちと神楽をやってたらしい。が、笛は中山手である矢沢大仏神楽の人から習った…。というわけで、主には江刺家手です。が、ふつうこの地方の神楽にはない八幡舞も演目に入ってます。儀礼もかなりしっかりしているようです。平成10年には青森県による"伝承マニュアル"の作成対象にもなりました。
 藩世期の文書に、法霊社の祭礼のお通りの様子を記したものがあります。その中には「山伏 杵」と記しているところがあったり、「四方舞」という記述があったり、現在の神楽とは共通しそうでありながら、やや違った色合いも感じられます。前者の「杵」については現在の屋内で演じられる法霊神楽の江刺家手の「杵舞」よりはお通りの付随芸として演じられる三戸郡(虎渡杵舞・斗内獅子舞など)や二戸郡(金田一神楽)の神楽の「杵舞」を連想させますし、後者の「四方舞」については三沢の神楽などの「四方番楽」や津軽神楽の「四家舞」を連想させます。江刺家や中山の影響により現在の形態になる前の八戸の神楽についても、今後の研究が待たれるところです。


本田安次先生の研究
 北東北地方の山伏神楽と番楽について詳細に記した大著「山伏神楽・番楽」の中で、著者の山伏神楽は八戸の神楽の中で「小中野の神楽」を紹介しています。この記述について「(西舘意之助氏より)」と本田氏は記していますが、これは法霊神楽の江刺家手の母体となった鮫二子石神楽の西舘亥之助師匠のことです。同著に記された内容を見ると、現在はあまり見ることがない演目や儀礼の概要が示されています。これをもとにした再取材やさらに詳細なききとりなども求められます。


年間の上演機会
 八戸の神楽の年間の上演日程として把握しているものは、下記のとおりです。このほかに、イベントや冠婚葬祭で演じられることがあります。どの祭りでどの団体が出るか・・・ということについては、充分に把握していません。あしからず。

 正月‥(詳細不明)
 1月15日〜2月 春祈祷
 旧3月3日 鮫 蕪島神社祭  ・・・旧祭では拝殿内で二子石神楽,新祭では特設舞台で鮫神楽が奉納(か?)
 4月15日 川口のミサキ神社祭(小中野の川向かい)
 5月11日・12日 おがみ神社神楽祭 ・・・法霊神楽
 5月15日 小中野 御前神社例大祭・・・高橋神楽組
 6月30日 神明社 夏越大祓(茅の輪祭)・・・笹の沢神楽
 7月7日 白銀 三島神社祭 ・・・白銀神楽
 8月1日〜3日 三社大祭 ・・・法霊神楽
 二百十日 湊 大祐神社祭・・・浜市川神楽
 旧8月14日 櫛引八幡宮例大祭 ・・・矢沢大仏神楽
 9月15日 小田 八幡神社祭
 11月16日 おがみ神社年取り
 11月23日 小中野 御前神社年取り
 12月9日 神明社年取り
 12月19日 鮫 ニ子石稲荷年取り


二系統を擁する神楽として…
 中山手と江刺家手の両方の神楽を伝承するというときに、これは2系統の神楽の芸態を混ぜて伝承しているというわけではありません。権現舞・番楽・山の神など2つの系統で重複している演目も多いのですが、それらは上演にあたって「中山手 権現舞」などと、系統を冠して演目を観客に告知しています。一回のお祭りの中で、異なる系統の同じ名称の演目が演じられることもあります。素人目にはそれぞれの系統の違いはわかりにくいのですが、「山の神」などは誰の目にも両者の違いがよくわかります。江刺家手の「山の神」は鳥兜のシコロをはねあげる動きが多く使われるのですが、中山手の場合はあまりその動きはありません。中山峠以北の山伏神楽の中では、どちらかといえば江刺家手のタイプのほうが多いようです。
 このほかに、それぞれの系統にしかない演目もあります。
 江刺家手は春祈祷(はるぎとう)で沿岸部を多く回ったといわれています。これは、権現舞をしながら防火・豊漁などの祈祷をして民家を回り、夜はその地域の中でも特に大きな家に泊まり、多くの演目を家の中で披露するというものでした。種市、陸中中野のほうまで歩いた(祈祷しにいった)そうです。そうなると"うちの村にも神楽を教えて"となってきます。種市の"和座"にも神楽を伝えることになり、西舘師匠、小野寺師匠、松川師匠(当時は20〜25くらいのはず)が交代で教えにいったそうです。これに比べると中山手のほうはそういった形での春祈祷で広い地域を回ることは無かったようです。


中山手(なかやまで)と江刺家手(えさしかで)のルーツ
 "中山手"は一戸町の中山近辺の神楽を起源とするもの、"江刺家手"は九戸村の江刺家近辺を起源とすることからこの名称がついているようです。岩手県北(中山峠以北)・青森県南の神楽にはこの二系統のいずれかを称するものが多いようです。ただし、この分類は現在の芸態にあてはまるものではありません。一戸町中山近辺の神楽としては「高屋敷神楽」が、また九戸村の江刺家近辺の神楽としては「江刺家神楽」が現在も活動を続けていますが、いずれも八戸の神楽とは一見して舞い方が異なっています。また、「中山から伝わった」という各地の神楽と「江刺家から伝わった」という各地の神楽をそれぞれ比較してみても、このルーツによる明らかな芸態の違いを見出すことはむしろ困難です。
 この場合に限らず、民俗芸能の場合、一部の演目・ちょっとした舞振り・囃子のフレーズを教わっただけでも、あるいは謡本や巻物を伝授されただけでも、教えた側の団体名や系統名をとって「○○系」と称することが多いようです。ですから、1つや2つの団体を見たぐらいでは「中山手も江刺家手もすでに見たからいいや」ということにはならない…らしいのです。
 八戸近辺ではこれらのほかに、「江刺家手と長興寺手を元に・・・」といった団体もあります。長興寺というのは九戸村長興寺のことで、現在も長興寺神楽が活動しています。軽米町の神楽や葛巻町の神楽には、「現在の九戸村の神楽から教わった・あるいは教わったことがある」という団体があります。また、下北郡の「獅子舞」という分類名で呼ばれる山伏神楽や上北郡の神楽には「一戸町中山から伝わった」「小鳥谷から伝わった」という団体があります。このように、一戸と九戸の神楽の影響は中山峠以北に広い地域に及んでいます。


近辺の神楽
 八戸近辺には南郷村の中野神楽・島守神楽、階上町の道仏神楽,下田町の本村獅子舞、三戸町の斗内獅子舞など、八戸と同様に強烈なスキルと濃厚な儀礼を誇る神楽集団が群在しています。それぞれ見比べながら見ると、これまた面白いもんです。


今後の課題(誰か調べて)
 中山峠以北の神楽は、分布範囲・団体数ともに北東北最大といえるでしょう。と、一くくりにしてみたものの、芸態は多様です。どう多様かというと表現は難しいのですが、たとえば「花巻市内の山伏神楽」と一くくりにしても芸態が多様ですけれども、中山峠以北の場合はそれ以上の触れ幅があると考えてもいいでしょう。
 そういう中で、八戸の神楽というのはどういう位置にあるのか。
 芸態の面でも要検討でしょうし、伝承のルートについても。ところが、八戸の神楽がそうであるように、中山峠以北の神楽については「××さんが、●●師匠から伝えられた」というように、個人から個人への伝播がとても多い。それも、複数の師匠から習うケースがあったりして、かなり入り組んでいます。そこらへんを地道に聞き取りしながら解きほぐしていく作業が必要なのだと思います。民俗や郷土史の方、どなたか・・・。
 まあ、とにかく八戸の神楽は見ていて楽しいしありがたいし、そうやって見ているだけで自分は幸せなんですが、「こんなにイイものがどこからどうやって伝わってきたんだろう?」というのは、やはり気になるものです。また、師匠さんたちからそういうお話を伺うのも楽しいもんです。難しい考察はともかく、そういう師匠さんたちの昔話をマメに書き留めておけば、それだけで価値があるというものなんじゃないでしょうか。




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